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私って生き物は、それほど深く考えない性質でして。
いや、「でした」が正しいのかもしれない。
おかしいな、裏の裏の裏まで考える器用さはなかったはずなのに。
疑り深いとはまた違いますが、
「この場合は?じゃあこうなった時は?その逆のパターンは?」
と堂々巡りのような考え方をするようになったのは大学に入ってからかもしれない。
そういう授業を結構たくさん受けて、共感できる先生に今もついていっているからかもしれない。
考えるということはとっても大事なことだと思います。じゃないとペーペーですしね。人として勿体ない。
でも考え過ぎというのも問題ですね。まさしく私、今その状態。
私が私であるために、今、アイデンティティを問う。
卒論用の本を大学図書から借りまくって読んでいるうちにまたぐるぐると考える。
……駄目だな、考えるのが癖になってるわ。
でもね、人間関係のビッミョーな空気は読めないんです。……何故だろう。
自分を主体に置く、ということを長らくやっていない(のかなぁ?)ようなので、
主体とは何ぞや?というところから今初めてます。ムムム、難しいなあ。
最近はお得意の現実逃避もすっかり忘れていたので、そろそろ召喚したいと思います。
あーでも今奴が現れたら面倒だな。
「でも」が多い日記になってるよー。
あ、この間ゼミの先生が
「最近の若い子は「でも・しかし」を使わない方がモテるんだって?(←初耳)
でも「でも」という言葉を使わないと全てYESとみなされるじゃないか。
それじゃあ会話だって続かないし寧ろそちらの方がつまらない人間だと思うよ僕は」
と、仰っていました。先生に一票。先生格好良いよ!
誰だ、「でも」を使わない方がモテるとか頓珍漢なこと言ってるのは。